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点字ブロックものがたり

【第6回】 福祉の時代へ

価値観の転換が点字ブロック追い風に

経済成長にともなう公害の発生、石油ショックが社会の混乱に追い打ちをかけた1970年代初頭、日本も高度経済成長路線から、福祉型の「低成長」路線への転換が叫ばれるようになりました。この新たな潮流は、点字ブロック普及の大きな追い風となりました。

点字ブロックの普及行脚に、苦節6年を費やした安全交通試験研究センターに、ようやく希望の灯がともりました。きっかけは、点字書きのある陳情書でした。1970(昭和45)年、大阪府立盲学校の教職員が、旧国鉄阪和線「我孫子町」駅に点字ブロックの敷設を! と点字で陳情書を送ったのです。
これに応じて、1970(昭和45)年3月、国鉄が初めて点字ブロックを採用したのです。こうして「我孫子町」駅プラットフォームに敷設された点字ブロック(タイル)は、プラットフォームの点字ブロック第1号となりました。
同年、東京都道路局安全施設課から「点字ブロックを採用する」と、1本の電話が入りました。高田馬場駅付近は視覚障害者の施設が多く、交通安全上からもぜひ敷設したい、一万枚でも予算処理が可能だというのです。東京都が、高田馬場駅東側一帯を全国で初めて「交通安全モデル地区」に指定し、点字ブロック敷設を交通安全モデルの中心に据えたためです。こうした流れは、地方都市にも連鎖反応を呼び起こし、点字ブロックの普及に拍車がかかりました。
さらに、1973(昭和48)年、「身体障害者福祉モデル都市制度」を発足した旧厚生省は、その制度設計のなかで盲人交通安全誘導システム(点字ブロック)の活用を提示し、その全国展開の気運が高まったのです。

こうした一連の流れは、人々の意識の変化によって促されたものです。戦後の高度経済成長路線にともなって発生した公害、それに追い打ちをかけるように生じたふたつの石油ショック。地球環境問題をはじめとする今日の社会問題が見え隠れしていた1970年代、これまでの高度経済成長路線から福祉型の「低成長」路線へと、価値観の転換が叫ばれるようになりました。こうしたなかで、1973(昭和48)年は、「福祉元年」と位置づけられ、福祉政策の大転換もなされたのです。
その翌年、安全交通試験研究センターは、旧建設省から「道路における盲人の誘導システム等に関する研究」を受託しました。点字ブロックが、専門的な研究対象となったわけです。これを機に、法人格を整える必要が生じ、建設省に背を押されるかたちで、「財団法人安全交通試験研究センター」として再スタートを切ることになります。

2016/10/25