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点字ブロックものがたり

【第7回】 レジェンドとなった三宅精一

財団は次のステージへ

1982(昭和57)年、点字ブロックの生みの親・三宅精一が道半ばで他界してしまいます。早すぎる死を悼む声は相次ぎますが、彼の功績は後世に託されたかけがえのない遺産です。その遺志は、弟であり、同志である三宅三郎に受け継がれていきます。

私財を投入して「財団法人安全交通試験研究センター」を設立し、初代理事長を務めた精一ですが、長年にわたる過労と心労のためか、50代に入って病に倒れ、1982(昭和57)年7月10日、不帰の人となりました。
最大の理解者であった岩橋英行は、親友の死を、このように悼んでいます。

思えば、昭和36年、セントバーナード犬を媒体として結ばれてから、良き盲人への理解者となり、自立する盲人、前進する盲人のために、可能な知恵をふりしぼって参加してくれたこの人に、こうべを深く垂れ、安らかな眠りをと祈らざるを得なかった。
(岩橋英行著『白浪に向いて 三宅精一氏を語る』より)

ここに、英行が精一の霊前に手向けたヘレン・ケラーのことばを紹介しておきます。

あなたのランプの灯を、
今少し高く掲げてください。
見えぬ方々の行く手を照らすために。

そして、三郎は自らの使命を確かめました。

研究開発の得意な事業家、そして公益に奉仕する精神をもつ思想家、動物好きのよき兄──私にとっては人間の生きざまを教えてくれた人であった。
 その日から私は、悲しみを越えて兄精一の志を発展させることが使命であると自分に言い聞かせた。
(安全交通試験研究センター・ホームページよ
り)
享年57歳。「視覚障害者の安全歩行」という課題に全身全霊で取り組み、半生を捧げて成し遂げた偉業は、後世に託されたかけがえのない遺産です。レジェンドとなった三宅精一は、短いながらも、だれよりも満ち足りた生を全うしたのでしょう。
財団は、三郎が兄の遺志を受け継いで新理事長となり、次なるステージへと移行していきます。

2016/11/15