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点字ブロックものがたり

【第5回】 栄光と挫折

世界から賞賛を浴びた点字ブロック。しかし…

1967(昭和42)年、世界盲人福祉協議会(WCWB)実行委員会に参加した岩橋英行によっ
て、点字ブロックは世界の専門家に紹介されました。各国から賞賛を浴びる点字ブロ
ック。これに対して、当時の日本はいまだ福祉への理解が低く、普及は困難を極めます。

点字ブロック第1号が敷設された年、世界盲人福祉協議会(WCWB)の実行委員会がユーゴスラビアで開かれました。この国際舞台で点字ブロックの写真と資料を各国の専門家たちに配り、プレゼンテーションをした日本の代表者が、われらが岩橋英行でした。
世界の国々には、音響信号機はあったけれど、視覚障害者に危険を知らせる誘導を兼ねた敷設物は存在しなかったことから、専門家たちはおおいに興味を示しました。世界の著名な人々が、それぞれ直筆でノートに意見や賞賛のことばを書き連ねたのです。英行はまた、ローマ法王に謁見の際にも、点字ブロックの開発状況を報告しました。
こうした世界からの賞賛を受けて、三宅兄弟は独りよがりではなかったことに安堵するとともに、点字ブロックを日本全国に敷き詰めようという決意を新たにするのです。

安全交通試験研究センターでは、まずは地元・岡山から、と普及目標を立て、新しい歩道橋や交差点ができると聞けば、県や市に点字ブロックを寄贈し、精一がその意義を説いて回りました。「試作→贈呈」という普及活動は、岡山を皮切りに、京都、大阪、東京、仙台など、全国に広がりました。
しかし、その努力はなかなか実ることなく、いつまで待っても、注文はおろか問い合わせの電話さえも鳴りません。日本社会の福祉への理解は、思いのほか低かったのです。
さすがの兄弟も弱気になり、時おり、こんなことばも漏らすようになっていました。
「もうやめようか、そろそろ資金も底をついたで…」

点字ブロックの誕生から6年の歳月が経っていた頃のことでした。戦後、高度経済成長路線を突き進む日本は、やがて世界第2位の経済大国にのし上がり、自信に満ちあふれていました。慌ただしくクルマが交差する原尾島交差点で、「点字ブロック発祥の地」のモニュメントの存在に気がつかなかった私のように、当時の日本は疾走するクルマから降りて、足元に目をやるような心の余裕を失っていたのでしょう。

2016/10/24